東北工業大学経済交流会 東北工業大学

コンクリートと過ごした半世紀


演 題  「コンクリートと過ごした半世紀
講 師  東北工業大学   建築学科 四戸英男先生
平成 13年 3月 6日(木)
於:ブラザー軒

1. 1955年(昭和30年) 「もはや戦後ではない」・・・けど、就職難。 

 日本建築学会秋季大会学術講演会(名古屋工大)

 防災・材料・施工部門 発表題数 53(コンクリートブロック関係 5題)

 ブロックの製造 振動詰め・即時脱型 による機械成型

 コンクリートの強度理論・・・水セメント理論、空隙理論、最大密度理論、表面積理論

 骨材の最大密度・・・フーラーの最密粒度

 ブロック造→ブロック塀→宮城県沖地震→日米共同研究→RM構造→耐震補強

2. 1970年(昭和45年) 「いざなぎ景気」・・・第1次オイルショック直前。

 日本建築学会大会学術講演会(日本女子大学)

 材料・施工部門 発表鬼数136(プレキャストコンクリート関係 8題)

 集合住宅用PC板製造プラント・・・コンクリートの蒸気養生による脱型強度の確保

 コンクリート打込み→左官仕上→加熱養生→脱型→2次養生→運搬→組立

 ホットコンクリート(ホットミキサー)・・・ワーカビリティーのコントロール困難

 山陽新幹線着工(S42)“ひかりは西へ” S45 岡山〜博多 着工 アルカリ骨材反応

3. 1995年(昭和60年) 「円高上昇でバブルに」…丙午生まれが入学=広き門。

 日本建築学会大会学術講演会(愛知工業大学)

 材料・施工部門 発表患数 305(セメント・混和材料関係 16、アル骨 8)

 コンクリート硬化促進剤と高温蒸気養生(90℃)・・・2〜3cycle/1day

4. 2001年(平成13年) 「改革なくして回復なし」…建設大不況。

 日本建築学会大会学術講演会(日本大学工学部) 

 材料・施工部門 発表題数 451(リサイクル関係18+34)

 解体されたコンクリート塊の再利用

 再生コンクリート用骨材の高品質化が課題

 コンクリートの粗破砕→機械的すりもみ、加熱すりもみ→歩留りの低下=細粒の増加

 構造的解決もある・・・本学田中礼治教授の一連の実験(ハーフPca構造の後打ちコンクリート)

5. 今是今否 故吉田徳次郎先生の最終講義                      以上


四戸英男先生  略  歴

1932年10月 北海道旭川市に出生

1951年 3月  岩手県立盛岡高等学校(現 盛岡第一高等学校) 卒業

1955年 3月  東北大学工学部建築学科 卒業

 同年 5月  (有)不二設計所 入社

1970年 4月  東北工業大学工学部建築学科 勤務 助教授

1978年 4月  同  上 教授

1992年 4月  同  上 大学院設置により大学院兼務

1999年 4月  同  上 客員教授

学内役職

1977年4月〜1980年3月 学生室次長(現 学生部次長)

1980年4月〜1982年3月 学生室長(現 学生部長)

1982年4月〜1998年3月 建築学科長(この間、学科内の就職を担当)

1998年4月〜2000年3月 就職部長

所属学会

1965年〜  日本建築学会

         東北支部常議員、評議員、東北支部功労賞

         東北支部学術研究委員会材料部会長、施工部会長等歴任

1986年〜  日本雪工学会

1986年〜  日本コンクリートエ学協会

1989年〜  日本建築仕上学会

社会的活動

  宮城県建築工事適正価格推進委員会委員長

  仙台市入札制度審議会 委員

  仙台市特定調達苦情検討委員会 委員

  宮城県コンクリートブロック協業組合・・・活路開拓委員会委員
  宮城県コンクリートブロック工業組合・・・  同  上

  宮城県コンクリート製品協同組合・・・・・   同  上
  宮城県砂利採取組合・・・・・・・・・・・・・・・  同  上 

  岩手県コンクリートブロック工業組合・・・  同  上



東北工大生へのメッセージ

(工大広報への寄稿集)2002年2月2日発行より抜粋

地球を回した男  No.171 H7(1995)1・19

  ローマのサンピエトロ寺院から東に向うとサンタンジェロ城に出る。17世紀を迎えたばかりの1600年2月17日、地動説を真理としてローマ教会の教理と対決し、8年間この城に監禁されていたジョルダノ・ブルーノが引き出されて民衆の前で火刑に処せられた。真実を唱えて思想・学問の自由のために52才の生涯を閉じた。

 もともとこの建造物は、ハドリアヌス皇帝が自分の墓廟として着工した。直径64m,高さ30mの円筒形をしており、彼の没した翌年139年に完成した。それ以降80年にわたって歴代皇帝を祀って来たが、中世に入ってからは城塞・ローマ法王の有事の際の避難所・牢獄・ヴァチカン守備兵の兵舎等として使われ、在は博物館となっている。ローマのガイドブックは「伝説による」として、590年ローマにペストが流行したとき法王グレゴリオ1世が疫病絶滅の祈祷に行く途中,この城の上に大天使ミカエルが剣を持って現れ,悪疫を追払ってペストの終りを告げた。法王はこれを記念して城の上に教会を建て、それ以来,聖天使を意味するサンタンジェロ城と呼ばれたと述べている。聖天使と呼ばれる割には秘めた歴史の故か,何となく暗い重い印象を受ける城である。

 さてジョルダノの死から33年後,ガリレオが地動説を支持して2度目の宗教裁判にかけられた。地動説の破棄を誓約しながら「それでも地球は動いている」と呟いた話はあまりにも有名だが、ジョルダノのことは、ごく最近古本屋の立読みで偶然に知り得た知識である。17世紀初頭というと、江戸幕府が確立する時期であり、日本でも当然自由な発言などは出来ない時代だった。しかし、今日の我々は日本国憲法が「思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。」「学問の自由は、これを保障する。」とうたったお蔭で、何者をも恐れることなく発言することが出来る時代を生きている。これもジョルダノ・ブルーノやガリレオ・ガリレイのような多数の犠牲者達や、太平洋戦争の敗戦という大きな代償によって得られたものといえよう。一方地球上には、単に善良な市民として生きる権利さえも否定し、抗争に明け暮れるところも存在する。世界中の人々が日本のような平和憲法によって守られ、自由を享受出来る日が早く訪れるよう祈りたい。

 大学生としての自由 No.63 S54(1979)4・6

青葉城恋唄と地震で一躍著名度を高めた仙台。この街で四年間を過ごすことになった新入生諸君は、どのような感慨を抱いて入学式に臨んだであろうか。 新しく始まる大学生活への期待、親の監督を離れて大幅に広がる自由に対する不安と喜びのようなものが胸中に交錯しているものと思う。学生生活において落入りがちなのは、この大幅に広がった自由の活用を誤ることから始まるように思う。今までのように誰も勉強することを強制しないため、欠席したり復習を怠ったり漫画にふけって本来なすべき読書を放棄してしまったりでは、何のために大学へ来たのか意味のない生活を送ることになる。やはり勉学には地道な努力が必要であろう。

 次に与えられた自由を行使する方法としていろいろな遊びがあり、その費用を捻出するためアルパイトに精を出す者もいる。長い休職中や通1〜2回の家庭教師ならまだしも、夜のアルバイトなどは問題である。寝不足は勉学への意欲を減退させ、やがて学生であることは副業となってしまう危険性をもっている。遊びのひとつに車がある。禁じられていた四輪車の免許も所持出来るようになり、中古車も比較的容易に入手出来るのが現状である。これらの維持費やガソリン代をアルバイトでなどと考えるのは、とんでもない誤りである事を認識してほしい。バイクも含めて車は常に事故と隣り合せであり、いかに自分が気をつけても避けられないこともある。その場合の倍償責任も当然ながら自由の見返りとして存在するのである。 大幅に広がった自由を行使するには、それに見合った責任が伴ってくる。勝手気ままに振舞ってよいという事ではない。社会には社会の、大学には大学内部の、そして個人の生活にも自ら課するところの親律=ルールがある。ルールを守って与えられた自由を謳歌し、思い出深い四年間の学生生活を過ごすことを望んでやまない。

 帰属意識と生命の尊重を   No.67 S54(1979)10・18

 夏季休境に入って間もなく電子・通信工学科2年生の三浦清寿君が,自らの人生に我手で終止符を打つという悲しい出来事があった。そうしなければならなかった理由はもはや知る由もなく,ご両親を慰める青葉もない。

 人は皆.生きている限り多くの悩みを持ち煩悶する。それを克服し,あるいは時間が解決してくれるのを待ち,生き続けて行くのではないだろうか。

 学生諸君は.いま青春時代を過ごしつつある。若さを謳歌しエネルギーを爆発させる時期でもあるが,いろいろな事象に感動したり反発したり,人生を懐疑的に愛げ止めて其剣に悩み,心が大きく挿れ動く時期でもある。

語り合える友達・相談出来る人生の先輩を作らずに一人悶々と悩み続けると、その間題だけが全世界となって自らの視野をせばめ穴蔵に入り、遂には出口を見失う結果を招く。

 学生の場合、在籍する大学に対して強い帰属惹級をもつことが出来たら(大学の側からは帰属意識をもたせることが出来たら)、このような出来事を防止するのに大変役立つと思う。

 大学への強い帰属意識は、その大学を誇りとしキャンパス内ですれ違う者もまた仲間であるという意識が芽生える。自然に友達と語り合う気持ちが生じ、語り合うことによって仲間との連帯や自分の存在感が高まってくる。

 帰属意識を強めるための手段は、隣席の人に声をかけてみるとか課外活動への参加などが良い。また課外活動の成果が新聞などで大学の名前と共に報道されることも「般学生の帰属意識をたかめるのに非常に役立つ。

 自分が学ぶ大学の成果を喜び、それを友達と語り合ううちに話題は発展して人生を論じたり、互いの悩みを語り合うことが出来るようになるであろう。

 帰属意識と共に育てたいのは“生命の尊重”である。

 他人は勿論、自らの生命も尊重して行かねばならない。言葉として解るより身体に叩き込んだ実感として捉えてほしいものである。生死は表裏一体のものと観じ常に生命の尊重を念頭に置くなら、自殺・交通事故など激減するであろう。工大生による交通事故も正月の不名誉な事件以降あとを絶っていない。

 大学への帰属意識と生命の尊重を一人一人の学生諸君に持ってもらいたい。まず君から隣の席に声をかけて見よう。それが不幸を防ぐことになると思って・・・。

 石の文化に感動          No.135 Hl(1989)6・30
   
パルテノン神殿など A科ヨーロッパ学生研修旅行

 この研修旅行は前にも実施したことがありますが,建築学科の企画として取り上げたのは今年の3月が始めてでありました。参加者は建築学科の学生23名に通信工学科の学生1名,それに筆者と高橋恒夫講師が加わり,ベテラン添乗員が同行してくれました。

 追再試験が終った2月28日の夜,仙台駅から貸切バスで成田に向かいました。翌朝我々を乗せて雨の成田を後にしたDC−10は,オーロラを眺めながら13時間をかけてヘルシンキに到着し、異国での第一夜を過ごしました。北緯60度の国も100年に一度あるかないかの暖冬で雪が無く暖かでしたが,さすがに夜明けが遅く8時になっても薄暗いのには驚いてしまいました。ヘルシンキからイスタンプール経由で3月1日の午後アテネに入りました。雄大なパルテノン神殿を始めとする多くの石造建築や遺跡が我々を感激させてくれましたが,折悪しくゼネストの最中で,黒いビニール袋に入れられたゴミが,道路に山積みされて悪臭を放つのには閉口でした。古代ローマの遺跡によって観光都市としての賑わいを見せるローマ。聖家族教会に代表されるガウディの建築と次期オリンピック開催地として知られるバルセロナ。この7月に革命200年記念を迎えるファッションの街パリ。どこへ行っても石の文化と木の文化の違いのようなものを感じてきました。

 今回の企画で大変良かったのは到着日(アテネのみ翌日)に貸切バスで2〜3時間の市内観光をやり、あとの2日は気の合った同志3〜4人のグループで有名建築や名所を探して歩くというやり方です。バス・地下鉄などの乗り方を教わって三三五五ホテルを出て行きますが、誰一人事故もなく楽しい毎日を過ごせたようでした。高校生の女の子と話をしたりスーパーやバールで買物をしたり、あの店の夕食は美味しかったとか、自分達の英語でも相手に意志を通じさせる辛が出来た喜びがヒシヒシと伝わって来ます。旅行の間は天候にも恵まれ,3月14日全員無事帰国することができました。その後,聖心女子大の学生が中国で事故にあったニュースが流れたので,いま何故海外研修かというご意見もあろうかと思います。しかし日本を外から眺め,異文化に接し自らがガイジンであることを体験することも重要なことではないでしょうか。

 参加した学生諸君の行動は立派な大人で何の心配も無く,彼等と共に学んだ2週間はとても素晴らしい毎日でした。